自分の位置。

なっつ。

2009年11月19日 10:16

いよいよ、県民体育大会が10日を切ってきました。

私的に、今年最後になるであろうこの大会。(確か去年も一昨年も言った覚えw)

私がこの代表に選ばれて4年。まだ一度も、「一勝」をあげていません・・・

去年は、キャプテンをして、いろいろとやらなきゃいけない事とか、いろんなことが心配になったり、責任感じたりと、正直プレー以前のものが多かったのですが・・・

今年は、監督の言う「プレーに専念して欲しい」をきちんと出来ている気がします。

いつもより、練習終わりの体のケアに気を回したり、怪我をしないようにあまり練習でも無茶しないし。(それは年だからとも言うが・・・)

それよりも、人間的に置かれている立場が明確というのが、一番の安心感。


新人が入ってたり、多少ポディションの変動があったりはするものの、メンバーほとんどがアタシより10歳以上も年下。
一人引率の先生のように飛び出ているので、余計な心配がない。

たとえば、細かな言葉遣いや、気持ちのずれ、意地とかプライドとか。

それは、これからの世代がお互いで感じ合いながら、どうしていくか確立していく物であって、私はそれを見守ることしか出来ない。

何ゆえ、今こいつがどう思っているとか、今不満を抱いているだとか、悟ってしまう歳なのだ。

それをまた、私が口出しをするもんでもないし、教えてあげる事でもない。

私に出来るのは、「気づかす」事が役目なんですよね。


こんな抽象的な表現では、いまいち分かりません。といわれると思いますが。

それは、あと10年たったら分かるでしょう・・・

って感じです。

前に、アタシが後輩に言った言葉に対し

「なっつさん。あれは言っちゃまずいんじゃないっすか?」

っていう指摘があった。まー、指摘という程でもないんだけどさw

でもね、私の立場だから言えるもの。
同世代の立場だから言えるもの。

それって、とても大切なことだと思うんです。

例えば、理不尽な本人的には訳が分からん事をを言っている3つ上の先輩がいて、
それを一緒にいた同級生が励ましのフォロー入れて、
それを聞いていた1つ上の先輩が「言いたかったのはこう事だと思うよ」という噛み砕いた説明をもらったりして。
少なくとも、その3つの立場の役割ってあるじゃないっすか。

うーーん。いかんせん、口下手・説明下手なんで伝わっているか分かりませんが。

結局そういう、人の立場の役割ってあるじゃないっすか。(父親でも、母親でも。)

その、自分の位置は、自分にしか出来ない。
そういう気持ちって、ささいだけど大切だと思うんですよ。

「私もそう思う」「だよね、だよね」って、八方美人な受け答えをするよりずっと・・・

でもさ。
それって、愛情がないと出来ないことなんですよね。
どうでもいいなら、別にほっときゃいい訳であって・・・

どうせなら、人は愛した方がいい。

どうせなら、いい方向にみんなで前へ進んだ方がいい。

これって、チームプレーでずっと育ってきた、ある意味職業病みたいな感じ?

でも、この気持ちは社会人になっても、家庭人になっても、ずっとずっと続いていくもんだから、大切にしたいね。自分の置かれている位置の役割って。

すべては、相手を認める事から。そして愛す事からしか、素敵な明日は見えないからね。



今日は、ちょっとマジメな記事にしてみました(笑)
いかんせん、ありがたい事に最近読者が増えてまして、アタイはずっとリオデジャネーロで踊っている人みたいに陽気な人で、変人と思われたらと思ってさ。(あっ、別にリオをバカにしている訳じゃないっすよ(笑))

今日は別の友人のブログで、悩んでいる人がいてさ。
考えさせられたから、今日の脳みそ回路は、そっちよりのルートしか開門していないようです(笑)

多分、12時過ぎたら、リオゲートがOPENすると思います(爆)

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